ブルクハルトの『イタリア・ルネサンスの文化』(1860年)以降、レオナルド・ダ・ヴィンチ はアルベルティと並ぶルネサンス期の「万能の天才」(uomo universale)として人口に膾炙され てきた。このため、レオナルドは西洋文明を体現する芸術家として、美術史家だけでなく他の 分野の研究者からも多様なテーマで言及されてきた。
レオナルド研究は論文の数が非常に多く、 また多様な言語の研究書が存在するため、極めて困難な研究分野とされてきた。筆者もレオナ ルド研究は魅力的であっても、この研究に取り組む前は自分自身で手掛けるには余りにも困難 なテーマだと考えていた。
レオナルドの絵画や素描に魅了されて油絵を学んだ筆者は、学部時代にレオナルドについて の和書はほとんど読んでいたが、それらの中にヴェネチア・アカデミア美術館が収蔵している 《人体権衡図》の「円」と「正方形」について具体的に論述したものは無く、また図の上下に書かれたレオナルドの記述を翻訳したものすら無かった。当時筆者がそこで知り得たことは、 古代ローマの建築家ウィトルウィウスの『建築十書』の記述を基にして、8頭身の音楽的調和 比例のプロポーションを示したものだという説明でしかなかった。
古代ギリシャ彫刻の「身体の規範」(κανον) には、すでにこの見方が用意されていて、古代 ギリシャの「カロカガティア」(καλοκαγαθια) と呼ばれた身体美は、8頭身の音楽的調和比例 を基にしたものと説明されている。古代ギリシャ彫刻の臍の位置が一般に身長を黄金分割するとされているように、このプロポーションは黄金分割と結びつけられてはきたが、これは 19 世紀半ばにツァイジングがギリシャ彫刻の身体各部の比率を示すため用いたことからようやく広まったものであり、ウィトルウィウスの記述以外、古典古代のリテラルな記述を伝えている音楽的調和比例の資料は無いものと考えられてきた。
一般に音楽的調和比例と呼ばれているものは、古代ギリシャの数学者ピタゴラスによって発見された音程(ドレミファソラシド)と、単弦琴または竪琴の弦の長さとの関係である。この西洋音楽のピタゴラス音階と呼ばれるものは、弦の長さを 12 等分したモジュールで、この弦全体に対して各音程がそれぞれモジュールの箇数で決められた音楽の基礎となるものである。 開放弦に対して6単位の弦の長さは 12 対6で弦長が 2 分の1になって、1オクターブ高い音になることは、ギターや弦楽器を学んだ人なら誰でも良く知っているもので、これが急に判りづらくなるのはギターの弦を押さえるフレットがそうであるように、低い音から高い音に行く につれて次第にその間隔が狭くなるからである。
それに対して弦の長さを単純な整数比で捉える音楽的調和比例は、アルベルティに始まるイタリア・ルネサンスの建築論としてルドルフ・ ウィットコウワーが『ヒューマニズム建築の源流』(1967年刊)で示したものであって、ウィト ルウィウスの『建築十書』で伝えられた古代ギリシャの神殿建築の設計原理とされてきたもの である。
筆者が考察したレオナルドの人体比例理論は、この『建築十書』の第三書第一章の「シンメ トリアの理法」を、《人体権衡図》の人体を取り囲む「円」と「正方形」によって解くことで導かれたものであり、筆者はこの人体が黄金比の等比数列で描かれたことを発見した。
筆者は、ホイヘンス稿本の第一葉をレオナルドの《人体権衡図》の比例の規準線に見い出される黄金比の等比数列の根拠として取り上げたが、その結果「ホイヘンス稿本」は、失われた「スフォルツァ絵画論」のコピーだとする仮説が立てられる。何故なら、筆者の命題「ダブル・ スクエアのフィオゲネシス」によってレオナルドが複数形で語った「私の原理」がこの紙葉で 確認できるからである。
筆者の研究は、ホイヘンス稿本第一葉冒頭の「眼、(視)光線、距離」 から,この記文が人体比例だけでなく、《マギの礼拝》背景図の素描に示された遠近法の作図法 も扱っていると考え、第四章以降ではこの作図システムが成立しなかった《最後の晩餐》や 《受胎告知》をも含めて、レオナルドの線遠近法の時期による違いを扱っている。
筆者の「ダブル・スクエアのフィオゲネシス」は、ウィンザー紙葉19118rで「数学者では ない者に、私の原理を読ませてはならない」と語ったレオナルドの原理に他ならず、各章での検討を踏まえて、これがウィトルウィウスの『建築十書』によって伝えられた古代ギリシャの 「シンメトリアの理法」に対するレオナルド自身の解釈であったことを終章で示した。